テクニック
ラリアット
新日本プロレス時代から使っていたが、全日本プロレス入団後、PWF会長として来日していたスタン・ハンセンから直接指導を受けた。ハンセンのラリアットからヒントを得てラリアットを習得したレスラーは星の数ほど多いが、直接指導を受けたのは小島が初めてである。そのため小島のラリアットを「継承ウエスタン・ラリアット」「豪腕継承ラリアット」と呼ぶこともあるが、あまり浸透していない。
新日本時代は「世界一のラリアッター」を自称しながら1試合中に乱発していたため、ラリアットに一撃必殺を求めるファンからは「塩」(しょっぱいの意味。元は相撲界の隠語で口ばかり達者で弱い力士の意。転じて面白くないプロレスを指すことも)とも酷評され評価が低かったが、全日本移籍後にハンセンの教授を経てからは使用頻度を少なくし、フィニッシュ・ホールドとしての説得力を獲得している。
新日本時代には「ぶん殴りラリアット」と呼ばれていた(他にもバカヤロー・ラリアット、世界一ラリアットとも)。
「継承ウエスタン・ラリアット」と「ぶん殴りラリアット」ではスタイルが異なる。「ぶん殴りラリアット」では、長州力のリキラリアットのように助走をつけて自らの片腕を相手の喉下に当て込み、そのままマットに叩き付けるようにしたり、あるいはそのまま自らの体ごとマットに浴びせ倒すようにしたり、とにかく力任せ・勢い任せのラリアットだった。「継承・ウエスタン・ラリアット」では、相手の体勢・自分の腕の角度・タイミング・スピード・全身の力の込め具合など、様々な要素を考慮し必要最小限の力で最大の威力を発揮するハンセンのラリアットに近いスタイルとなっている。具体的な形としては、自らの片腕を伸ばし、野球の打者がバットを振るかのように自らの足腰を支点にして、伸ばした片腕を振り、相手の顎を的確に引っ掛けてそのまま振り抜くというものである。三冠王座陥落後からはハンセンのように相手をロープに振って返ってきたところを助走せずにカウンターで当てるパターンも使うようになった。